エクササイズとは、練習、練習問題なんて意味もあるけれど。
やっぱり「肉体能力の維持強化のため、健康保持などを目的とした肉体的な運動の総称」という意味合いが、最近では一般的のようです。
このエクササイズについて、FMアレクサンダーは、結構冷たい意見を著書でも、講演(録音がある)でも述べています。
「悪い体の使い方のまま、エクササイズをやっても、百害あって一利なしだ」みたいな辛辣なことを言ったりしています。
ここでFMアレクサンダーが言うところの「悪い体の使い方」というのは、「かつて自分自身がやっていた体の使い方」のことを言っているのです。
「自戒の意味を込めて」言っているので、言葉通りの「辛辣な意味」だけではないものがあるんですが。
ここで、改めて私は、現代において「悪い体の使い方」のままエクササイズを続けることは、百害あって一利なし、だろうか?
と考えてみました。
FMアレクサンダーの生きていた時代、彼は、1869年、当時イギリス領オーストラリア・タスマニア島で生まれています。その時期、日本は明治維新の頃です。
FMアレクサンダーが生まれた頃、普段の生活で、電気もガスも、車も一般的ではなかった。蒸気機関車がイギリスで広がり始めた頃で、オーストラリアのタスマニア島では1971年に蒸気機関車鉄道が開通しているようです。
そんな環境だったから、人びとの移動手段は、馬に乗るか(FMアレクサンダーは乗馬が大好きだったみたいです)、歩くか。
わざわざエクササイズをしなくても、人びとは、毎日くたくたになるほど体を使っていたのです。
その頃から考えると、今では社会のありよう、人びとの生活は、激変しています。
電気、ガス、ガソリンなどの化石燃料の活用が、生活に入り込んできたのも、FMアレクサンダーが生まれて以後のことです。
車が一般的になり、自分で歩かなくても遠くに行くことができます。多くの機械器機の発達、車の発達で、肉体労働も変化しています。
家電の発達で、女性は家事に専念しなくてもよくなりました。
部屋の中で、座ったままリモコン操作や、音声で指示をすれば灯りを点けたり、エアコンを動かしたりできる、便利なものがたくさん出来ました。
インターネットが一般的になることで手紙も書類もメールとして、事務仕事は座ったまま出来るようになりました。以前は遠方まで行かなければいけなかった内容のものが、インターネットで閲覧できるようになっています。
私の知らないこともいっぱいあって、書ききれません。
一昨年31回のサラリーマン川柳の入賞作「スポーツジム 車で行って チャリをこぐ」は、忘れられません。
スポーツジムに行ってエクササイズとして「チャリをごく」のです。だから、自転車に乗ったり、歩いたりすることが、エクササイズとしてやらないと出来なくなっている社会なんですね。
そういうことを考えると、
まあ「悪い体の使い方よりも、よりよい体の使い方」の方が、よりよいとは思います。
ただ、それ以前のこととして、「動かさないと、動けなくなってしまう」。
だから、現代においてエクササイズは必要なんだろうと私は思います。
体を使って仕事をしているんだけれど、以前よりももっと、同じような作業ばかりになっている。うつむいて作業する仕事は多いので、顔を上げ背中を伸ばすことを、意識的にやらないと、背骨は「動かさないと、動けなくなってしまう」。
この「意識的に体を動かす」というところで、アレクサンダー・テクニークは、お役に立てると私は思います。
この忙しい時代に、忘れた心を思い出すように、忘れた自分の感覚を思い出す、お手伝いができると思うのです。