エクササイズとは、練習、練習問題なんて意味もあるけれど。やっぱり「肉体能力の維持強化のため、健康保持などを目的とした肉体的な運動の総称」という意味合いが、最近では一般的のようです。
具体的な内容としては「体操、ストレッチング、エアロビクス、ジャズダンス、ヨガ、太極拳、気功、ウォーキング、水中ウォーキングなど多くの種類があり、ほかにもこれらを組み合わせたもの、他のスポーツ(格闘技など)の要素を取り入れたものも多い。また、広義にはジョギング、サイクリング、水泳なども含まれる」のだそうです。
アレクサンダー・テクニークは、「からだについて学ぶ」とか「身体訓練」というふうに説明されます。これがエクササイズの類かというと、ちがうのです。
基本的なところが、違うんです。
エクササイズ、たとえばストレッチは、指導者のストレッチ動作を、受講者(学習者)が真似ることをおこないます。ストレッチ、エアロビクス、ジャズダンス、ヨガ、太極拳、気功なども、指導者の動きを真似ることで、受講者が学習します。
何度も何度も繰り返し、指導者の動きを真似ることによって、受講者は、その動きのかたち、組み合わせを覚えていきます。そして、だんだん「上達」していきます。
このエクササイズの上達において、受講者(学習者)の体の使い方については、直接指導は、されません。
おもに動きの順番、手足などの位置を指導することが、一般的だと思います。
ときにはFMアレクサンダー氏が声楽の先生から言われたような「足の指で床を握るように立つ」なんていう体に悪い指導もなされるようです。それは、「一般的に」体の使い方を比喩しているので、受講者ひとり一人の「からだの使い方」を見て、指導者が言っているのではない、と思います。
この場合、私のいっている「からだの使い方」というのは、受講者が立ったとき、その人の重心がどこにあるのか、動き始めるとき学習者その人は、どこから動くのか、というふうな基本的なところです。
たとえば、ある人にとって「まっすぐ立つ」とは、全身を緊張させ、昔の兵隊さんのように「立つ」ことだったりします。しかし、これでは「からだの使い方」としては、からだを痛めてしまいます。
また別の人にとって「まっすぐ立つ」とは、ひと昔前に流行った「壁の前に立って、頭・背中・お尻・かかと、を壁に付けて立つ」だったりします。こちらも、からだを痛めてしまう立ち方です。
アレクサンダー・テクニークでは、からだを痛めない立ち方を、ご自分で納得できるように、指導します。
「そんなこと、教えてほしくない。私は、ちゃんと立てる」とお叱りを受けるかもしれません。
そうなんです。私たちは、ちゃんと立てるのです。
私たちは、子ども頃、知らないうちに、周りの大人や子どもから「立つ」こと等々を学習しています。誰かに教えてもらったのではなく、見よう見まねで、学習しています。(バレエなど舞踊を習った方は、指導されたかもしれませんが)
エクササイズでは「立つこと」を改めて検討などしません。そんなことをしても、新しいことは何もない、と指導者も、受講者も思っているからです。
でもね、そんなことはないんです。
もちろん、受講者の間違いを探すのではないのです。そんなことをしても、受講者も指導者も、誰も楽しくありません。
もしかしたら、今まで無意識に学習してきた「立つ」ことが、受講者その人の体と心に、負担を及ぼしているかもしれない、と考えることが、できるでしょうか?
誰にも責任はありません。無意識に学んできたことを、意識的に自覚することを、アレクサンダー・テクニークはお手伝いするのです。
自覚すれば、すぐに動きを変えることができる、という楽観的なことは、あまり、ありません。しかし、自覚して、自分に負担を与えているであろう行為を、やめる練習はできるのです。そのお手伝いをするのが、アレクサンダー・テクニークです。
たとえば幼児は、やっと立ち上がることができたとき「ゴリラのように」立っているかもしれません。たぶん、立っているでしょう。
その立ち方を見て、年上の人から「それはゴリラのようだ、ちゃんと立ちなさい」ときつく叱られたら、その子はゴリラのように立たないように、緊張して「まっすぐ」立つようになるかもしれません。
そういう子どもが、大人になったら、「緊張して昔の兵隊さんのように」立っているかもしれません。そして、自分の緊張した動きに不満を持っているかもしれません。または、ヒザや腰や、首や頭が痛むようなことになっているかもしれません。
もうそのときには、昔誰かに言われたことなど忘れ、その子どもは「これが私の立ち方」と思い込んでいるでしょう。
ところが、アレクサンダー・テクニークでは、その「ゴリラのように立つ」ことを思い出そう、と指導するのです。あなたが赤ちゃんの頃できた、足の裏から頭の先までバランスが取れ、関節がやわらかく、ゆらりと揺れることができる、そんな状態を思い出すことを助けるのです。
そして、その質を保ちつつ、今に戻ってこられるように助けるのです。
これは新しいことではありませんが、「珍しく、楽しいこと」かもしれません。