アレクサンダー・テクニークの会 ブログ

レッスンを始めました。レッスンのご案内、日々の気づきや、思うこと考えることを書きたいと思います。

片桐ユズルさんを偲ぶ

 先日3月3日、故片桐ユズルさんの「偲ぶ会」があり参加してきました。


 片桐ユズルさんは、昨年2023年10月にお亡くなりになられた。近年、私は疎遠だったので、私が知ったのは2024年1月に入ってからでした。

 

 偲ぶ会主催は、弟さんの中尾ハジメさん、新海みどりさんがお手伝いをしていたので、アレクサンダー・テクニーク関係の方々がお手伝いで受付等されていました。

 

 片桐ユズルさんは、1980年代初めアメリカでアレクサンダー・テクニークのレッスンを受け、1987年から日本にアレクサンダー・テクニークの先生を招き、普及に努めてくださった。

 日本は高度経済成長期だったので、アメリカ、イギリス、スイス、フランスから先生たちが来てくれ、日本でレッスンを受けることができた。私も、この恩恵に与った者のひとりとして、アレクサンダー・テクニークを学ぶ上で、何にも代えがたく感謝しています。

 

 先日の偲ぶ会では、ユズルさんに「さようなら、ありがとう」と伝いたい方々が集まったと思います。


 ゆかりの方々がスピーチをされました。若い頃、ユズルさんが積極的にかかわっていたフォークソング運動の方々が何人かお話をされました。それはベトナム戦争朝鮮戦争が開戦されているなかで、反戦平和を掲げて歌われた歌。当時は、反戦平和に反対する人こそが少数派で、いろいろな場所で若者は反戦平和を訴えていたのだろうと思います。
 ユズルさんには、戦争に自分の青春時代を奪われた、という、どこにも持って行けないような恨めしさが後年まであると言っていたのを私は聞いています。まあ、そんなネガティブなことを言う人はいませんでしたが、その思いが、さまざまな活動の根底にあったのだろうと私は感じます。


 最期の日々を過ごした娘様のお話、一緒に翻訳をされた方々、フォークソング運動の方々(詩人、歌い手)、翻訳をしたアイボディの関係の方……。

 

 日本でアレクサンダー・テクニークを学びたい、その良さを広めたいという純粋な思いが、最初にあった。最初の頃の純粋さが、私には懐かしい。
 しかしその後、日本経済の斜陽化と深い関係があるのだろうけれど、日本でアレクサンダー・テクニークにかかわる人たちが増えると、ビジネスとして成り立たせるために覇権争いが起こっていたように思う。幸か不幸か、私はその枠外にいたのだけれど。そういう経緯もあってか、偲ぶ会には、アレクサンダー・テクニーク関係の大物?重鎮?が来なかったのかもしれない。

 人の人生には、いろんなことがあるんだなあ。大きな世界の動きには、どうしても影響を受けるのだけれど、立ち止まって、自分がどう生きることができるのか。考えたい。

 

 ユズルさん、ありがとうございました。