アレクサンダー・テクニークの会 ブログ

レッスンを始めました。レッスンのご案内、日々の気づきや、思うこと考えることを書きたいと思います。

最近「おびえ」について思うこと。

最近、私以外の人たちも、結構「おびえ」を持っていることを、改めて知った。いや、知らないわけではなかったんだけど。
 60歳になっても、70歳になっても、何かに「おびえ」て生きているんだなあ、と感じたことがあった。

 

 私は、たぶん「怖がり」で、そのくせ好奇心旺盛で、知らないことを知りたい気持ちが強い。
 10代の頃は、自分の息苦しさが何かわからなくて、ただただ苦しかった。いろいろあがいてみて、20代の頃、私の息苦しさは「おびえ」であることと思った。何かに「おびえている」私。

 それを何とかしたくて、本を読んだ。それは、私個人の問題ではなく社会的な、私たちという集団のおかれている位置が原因か とも考え、人びとの話を聞き、観察した。しかし、そうとは言い切れない、と結論づけた。

 地域や学校、会社の集団のなかには、幸せそうにしている人もいるし、いつも不幸だ
と言っている人もいる、何にでも怒っている人もいる。穏やかな人もいるし、いつもキツイ物言いをする人もいる。それは、どの集団にでも、いる。比率はちがうかもしれないけれど。
 私は宙に浮いたまま、「おびえて」いた。

 

 結局のところ、私は、いわゆるボディワークに行き着いた。幸いだったのは、最初、カルチャーセンターでヨガをやっている人の瞑想クラスに通ったことだったと思う。そこが宗教がらみだったら、変な宗教にかかわっていたかもしれない。

 

 私は「おびえて」いる間、自分の体の声を聞いていなかった。自分の体を大切にするということさえ、知らなかった。「痛み」にも、おびえていて、気がつかなかった。


 「親知らず」の歯の神経が、顎骨の内側で、膿んで痛みを訴えていることさえ、気がつかなかった。(体の声を聞き始めて、気がついて、歯科で1時間30分かかって抜いた。)


 まあ、そんな感じで「体の声を聞きはじめて」、私は「自分自身とは何か、自分自身はどうありたいのか」なんていう、自我に目覚めたわけです。20代から30代という、遅い自我の目覚めでした。

 

 思うに、私が「おびえて」いたのは、「どうしてこんなに苦しいんだろう」ということで苦しんでいた。「何が、どう苦しいんだろう?」と自分自身に問いかけることを、しなかった。


 たとえば「これで親や家族、周囲の人びとが喜ぶから」とか「言われるまま、やってきたこと」に、「いったん疑問を持って」しまったら、苦しくなった。「親や家族、周囲の人びとからの期待に沿わなければ、平穏無事にはいられない」という学びが、私を苦しめた。「期待を要求」と感じた、

 

 いや、どんな集団でも、「この期待」の中には、要求もあるのだ。その集団の一員でいるためには、期待は要求である場合が、多々ある。

 

 でもね、考えてみた。この期待に添わなくては、その集団で平穏無事にいられないなら、その兆候があるなら、その集団を出ても、よい。

 

 大きな社会という枠で考えれば、
 江戸時代の「むら」や「まち」の集団は、現代では、なくなっている。人びとは、決められた場所に住み、決められた生業を営むことでしか生きることが、できなかった時代では、なくなっている。たぶん、少なくとも日本では。

 

 ならば現代では、自分がいて苦しい集団からは、離れることも選択肢の1つとしてあると思う。そして、多くの人たちは、自覚しているかいないか、その選択肢を選んでいるのだろう。

 

 私のような怖がりでも、あと何年、元気で生きることができるだろう、と考える。

それを考えれば、選択はおのずとできるのだろうと思う。