アレクサンダー・テクニークの会 ブログ

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読書紹介・感想「『深部感覚』から身体がよみがえる!重力を正しく受けるリハ ビリ・トレーニング」 中村孝宏著 晶文社

 この本の内容は、アレクサンダー・テクニークとは直接関係がありません。深部感覚を目覚めさせ、リハビリとスポーツトレーニングに生かす運動を紹介し、提唱されている本です。

 

 私は「深部感覚」について、詳しく知りたかった。というのは、どうもアレクサンダー・テクニークで私たちが学ぶことができることの1つは、この深部感覚を目覚めさせることではないかと考えたからです。

 2018年はじめから、アレクサンダー・テクニークを再び学び直そうと考え、数冊の本を読み直し始めました。

 その中の1冊『能力を出しきるからだの使い方 アレクサンダー・テクニーク入門』(サラ・パーカー著 北山耕平訳 片桐ユズル監修 2006年発行)に「相対運動感覚(kinesthetic sense)これこそがアレクサンダー・テクニークの訓練の本質の部分であり……この感覚を育てるものである」という内容があったのです。
 私はサラ・パーカー氏を尊敬しています。この本は絶版にするには残念なぐらい、具体的な動きに対するアレクサンダー・テクニーク的視点での説明があります。しかし、この相対運動感覚についての解釈には、私は「本当にそうかなあ?」と疑問に思っていました。
 アレクサンダー・テクニークは、からだの動き(運動)を改善するのだけれど、動きの前の静かな状態(または、小さすぎで動きと判断できない状態)を制御する感覚が相対運動感覚なのかなあ?本当にそれだけ?と疑問に思っていたのです。
 この本は、1978年に書かれ、1991年に全面改定された分を翻訳しています。1991年以降、人体についての研究はめざましく、科学の本は10年経てば、ほとんどの内容が書き換わると言われています。それを考えても、これについては検討の余地はあるだろうと、ずっと気になっていた内容でした。

 

 本書を読みながら、わからないところはインターネットで調べ、人間のからだについての知識を確認することができた。
 脳と、脳から背骨の後ろ側を通って脊髄が尾骨まで続いている。これらは中枢神経と名付けられている。脳や延髄から細い神経が枝分かれして、全身に広がっている。これを末梢神経と言うそうな。この中枢神経と末梢神経の間に、構造的な区切りがないそうで、便宜的に名前が分けられているそうです。
 末梢神経は伝達する情報の違いにより、体性神経と自律神経(交感神経、副交感神経)に分けられる。
 ここで話題にしているのは、体性神経(運動神経、感覚神経)。感覚神経は、熱さ、寒さ、痛さなどの音通感覚を伝え、手足やからだの各部位の位置、動きの変化、自分の重さを認識する深部感覚を伝える。
 インターネットで「深部感覚」を調べたら「皮膚や粘膜の表面ではなく,それより深部に存在する受容器によって起る感覚。位置感覚,運動感覚,振動感覚,重量感覚,抵抗感覚など,筋,腱,関節に関係する感覚をいう」(ブリタニカ国際大百科事典)というのが、短い文章で詳しく説明されているように思う。

 

 先に私が疑問に思っていた「相対運動感覚(kinesthetic sense)」は、この深部感覚の中に含まれる、その中の1つのようです。

 また、著者の中村氏は「(過剰なストレッチによって腱損傷が起こる前)立って歩くためには強い筋肉が必要だと思い込んでいた」「(事故後、考えてみれば、からだを)支えるのは骨の役割であり、筋肉の役割はその骨の調整で、関節の役割は重心を運ぶことだった」と書いています。

 そうそう、これこそが私がアレクサンダー・テクニークで学んだ大切なことの1つなんです。私は勝手に感動しました。

 

 中村氏が「私の持論の中核」として紹介していることは「運動とは、重心の移動である」という考えです。そして、その持論に基づいて、深部感覚に働きかけ、眠っているそれを目覚めさせるエクササイズを紹介されています。
 このエクササイズについては、本書だけではよくわからない、というのが私の正直な感想です。たぶん、まずは指導してもらわなければ本当に理解することは、難しいように思います。

 

 しかし、本書の随所で説明されている「人のからだを支えるのは、骨の役割であり、筋肉の役割はその骨の調整であること、関節の役割は重心を運ぶこと」というのは、アレクサンダー・テクニークの実践を、別の言葉で的確に言い表していると考えています。

 

 1つの山に登るのに、いくつも道があるように、からだの理解の仕方も、眠っている感覚を目覚めさせる方法も、いろいろあると考えます。

 それぞれの人が、その人が好きな道からのぼり始めることが、1番よいことなんだろうと考えます。

 

 私の場合は、アレクサンダー・テクニークの原理について理解を深め、実践につなげたいと考えています。
 「方向性」というのはアレクサンダー・テクニークにおける原理の1つなのですが、私が実際に理解したその体験を、どのように言葉で表すことができるのか、苦慮してきました。
 アレクサンダー・テクニークの先生方の中には「抑制が起これば、自然と表れてくるのが方向性なのだから、気にすることはない」という考え方もあります。その考えは、そうなんだろうか? 私には、なんとなく納得がいかない、考えたい課題なのです。

 たとえば、

 アレクサンダー・テクニークにおける「方向性」は、重い頭を上部に頂き、からだを支えている骨格、その骨格を支える筋肉と腱、重心移動をなめらかに支える関節によって、あるべき方向に関節は曲がり、あるべき方向に重力反射が起きるために必要なもの、と言えないだろうか。