アレクサンダー・テクニークの会 ブログ

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アレクサンダー・テクニークとは、どんなもの? ⑤「抑制」のこと

 こんにちは、北村綾子です。

 文字だけでアレクサンダー・テクニークの原理を書くことが、なんと難しいことか!と実感しています。

 少々めげそうですが、とりあえず「抑制」までは書かなければと思い、はじめました。ひとつは私自身の考えの整理のために、もうひとつは「なんだろう?これ」と興味を持ってくださる方のために。

 私自身、改めてアレクサンダー・テクニークに取り組み始め、学んだことがあります。それも付け加えてお話ししたいと思います。 

 

 抑制(inhibition)は、アレクサンダー・テクニークにとって初原的調整作用(プライマリー・コントロール)に至るために、とても大切なものです。

 

 でも「抑制」という言葉のイメージは、あまり良くないですね。創始者F.M.アレクサンダー氏が使った言葉「inhibition」の和訳でも、「抑制、抑圧、禁止、禁制」なんていう、「力ずくで押さえ込む」みたいな感じのする日本語が出てくるぐらいです。

 

 ところが、この「抑制(inhibition)」はアレクサンダー・テクニークにおいては、「差し控える」というふうな意味合いです。

 そして、なぜ「抑制」する必要があるのか、ということを理解するためには、「(当初の)感覚的評価は、はあてにならない」ことの理解が不可欠なのです。

 

 だんだん、複雑になってきました。
 ここで、F.M.アレクサンダー氏の経験から話させて下さい。

 

 F.M.アレクサンダー氏は俳優でしたが、舞台の上で声が出なくなってしまいます。医療機関でも治せない自分の声の問題を、自分自身で解決しようと決心し、自分自身の声を出す姿を観察し実験を繰り返しました。

 そしてF.M.アレクサンダー氏は、過剰な筋肉の緊張を和らげ、頭を後ろに引っ張ることもなく、前に突き出すこともなく、首の上で絶妙なバランスを取る。そうすると背中が、幅広く長くなる。という初原的調整作用(プライマリー・コントロール)を見つけました。

 

 ところが、初めは、この初原的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ話す、ということが、F.M.アレクサンダー氏には出来なかったのです。

 「ここに非常に興味深い事実がある」とF.M.アレクサンダー氏は書いています。「初期の実験で、私は朗唱するという馴染みの活動のなかで、自分自身が何をしているかを確かめるために鏡を使った」のです。ということは、初期に「私」は自分自身が朗唱するときに何をしているか、わからない状態であったから鏡を使って、それを見て確かめたのです。
 ところが、今回の実験(原初的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ、話す)では、実験当初の「私は朗唱する(話す)活動のなかで、自分自身が何をしているか、わからない」という経験があったにもかかわらず、今回の実験で、自分が望ましいと思ったどんなアイデア(今回の実験の過程)でも実行できるはずである、と「私」が確信していた、のです。

 この「興味深い事実」は、F.M.アレクサンダー氏だけではなく多くの人(私自身にも)あてはまることだと、彼は35年間、レッスンを続けてきて確信した、と書いています。

 

 ここで、再び「この初原的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ話す、ということが、うまく出来なかった」というところまで戻りたいと思います。

 

 F.M.アレクサンダー氏は「朗唱する」ことを長い間練習してきたので、長い間の練習のなかで「朗唱するときは○○○するものだ」という癖、習慣、ができあがっていることを、発見しました。観察するまで、彼は自分の習慣を自覚できなかったのです。


 たとえば「朗唱するときは、足の裏を床にしっかりつけるものだ」という習慣がありました。そのため「朗唱するぞ」と彼が思ったら、彼の足の指、つま先は収縮して下向きに折れていました。そのため脚が過剰に弓なりになって、からだ全体の筋肉が非常に緊張していた、ということを、彼は発見するのです。

 

 言葉をかえて言えば、癖、習慣というのは、思考の中で「これは、こういう行為だ」という定義がつくられていること、です。

 

 F.M.アレクサンダー氏は、朗唱するために立っているとき、彼の足、足の裏、つま先にしていたことが、彼のからだ全体の使い方に最も害となる影響を及ぼしていた、ということでした。
 そして、この使い方は、習慣になるほど、強いものになっていたのです。
 まさにF.M.アレクサンダー氏「その人全体」が、朗唱するときの声のつぶれを起こしていた、無意識に選んでいたことを見つけたのです。


 私は、彼の経験を読んだとき、有名な「バブロフの犬」の実験を思い出しました。
 「犬にベルを鳴らしてからエサを与える」実験を繰り返した結果、「ベルを鳴らしただけで、その犬は唾液を出すようになった」という実験です。
 この犬と同じような条件反射が、私たちにも起こっているのだと思います。


 結論からいうと、F.M.アレクサンダー氏は、この条件反射を「抑制(差し控えること)」によって解消しました。

 

 この結論は、変わらないのですが、最近(2018年秋)もう少し細かく、抑制の過程をみていく考えに出会いました。


 以下、一連の行為は、観察と実験を始める前のF.M.アレクサンダー氏が習慣にしていた「話す方法」を「差し控え」て、「初原的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ話す」という行為に映るための軌跡です。


 悪戦苦闘して彼が見つけた方法は、原初的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ、「話そう」と思う。思うけれども、すぐに実行に移さない。いったん、拒否する。


 そして、初原的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ、というところまで戻る。
 初原的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ、次の行動を起こさないで、選択肢(話すことをするか? やめた方がよいか? 腕を上げる等ちがうことをするか?)を思う。

 どの選択肢を選んだ場合にも、初原的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ、おこなう。
 「これは正しい」という自分の馴染みの感じを信じない、最善であると理屈から判断した手順が間違いかもしれないと感じても実行してみる。

 

 これは書くのは簡単なんですが、やるのは難しい。F.M.アレクサンダー氏も、あなたも私も誰でも「正しい」と感じることをやりたいものだから。だけれども、これまでの実験と観察で、従来の「正しい」と思っていたやり方は間違っていた、という結果が出ているのです。

 にもかかわらず、従来の「話すやり方」が、「正しい」と感じてしまう。それが馴染み深い、という理由で。

 

 何度も何度も試みて、F.M.アレクサンダー氏は、自分の習慣から脱することが出来たのです。

 

 ちなみに「バブロフの犬」が「ベルが鳴っただけで唾液を出す」という条件反射から脱出するためには、ベルを鳴らしてもエサを与えない、エサを与えるときベルを鳴らさない、ということを繰り返すそうです。
 しかし、再度「ベルを鳴らしてエサを与える」ことを始めると、犬はベルを聞いただけで唾液を出す、そうです。

 

 人間も「バブロフの犬」と同じかもしれません。しかし、人間は、自分で選択肢を選び、習慣を変えることができるのです。

 

 新しい考え方というのは、この「選択肢を考え選ぶ」前に、「定義をいったん保留する」という行為を、F.M.アレクサンダー氏はやっている、という考えです。この考えは、デビ・アダムスさんから学びました。

 確かに「選択肢」を作り選ぶ前に、F.M.アレクサンダー氏は従来の「声を出す」行為は、「このようにするのだ」という定義があった。

 「選択肢の中から何かを選ぶ前に」、従来からのつながりを、いったん保留にする。そして選ぶ、または選ばないという選択をする。

 そういう過程があるのではないか、という考え方です。

 細かく見ていくと、確かに、「抑制」の過程に、そのような軌跡をみてとった方が、「声を出す」という行為を、新しい方法と結びつけやすい。

 

 思考回路のなかで「声を出す=従来のやり方」という道と、もう1つ別の「声を出す=別のやり方」の道をつくるための、興味深い考え方です。

 

 体の癖から心の癖をみいだし、選択肢を増やし、行動を選ぶ技を身につけることは、自分自身が、今の状態からより自由になっていく方法です。

 アレクサンダー・テクニークには、それができる。

 

 アレクサンダー・テクニークは、100年以上前に、F.M.アレクサンダー氏がテクニックとして始めた技術です。これを理解し実践していくことは、今でも研究途中であり、研究に値する技術であることに、私は素直に驚いています。