アレクサンダー・テクニークの会 ブログ

レッスンを始めました。レッスンのご案内、日々の気づきや、思うこと考えることを書きたいと思います。

読書紹介・感想『アレクサンダー・テクニーク ある教師の思索』パトリック ・マクドナルド著 細井史江訳

 

 この翻訳本は、私が出会いたかった本なんです。

 私の長年の疑問に応えてくれた本でした。

 

 著者として名のあるパトリック・マクドナルド(1910-1991)は、先天的に背骨に湾曲があったようで、それを心配した両親にうながされ、10歳からF.M.アレクサンダーと弟A.R.アレクサンダーのレッスンを受け始めたそうです。
 その後、ずっとアレクサンダー・テクニークのレッスンを受け続け、最初の教師養成トレーニングコースで学び卒業、卒業のあとアシスタントを務めつつ教えていた。創始者F.M.アレクサンダー死後、トレーニングコースを引き継いで、1991年まで教え続けた。同年、引退してしばらくして亡くなった方です。

 

 この本の内容は、マクドナルドさんのメモや覚書と、マクドナルドさんと誰かの対話の文字起こしを、弟子の1人であるテッド・マクナマラさんがまとめたものです。マクドナルドさんは当初、メモ書き等々を本の形にすることを拒んだようですが、テッドに説得され出版を承諾したのだそうです。

 

 私の理解では、
 創始者F.M.アレクサンダー氏から直接教えられた第1世代の先生たちは、「教えられたこと」+「自分で理解したことから、自分流の教え方」をつくっているようです。
 当初、アレクサンダー・テクニークのレッスンは、個人レッスン(先生1人と生徒1人)だけでした。後に、アメリカ人の第1世代の先生たちはグループレッスンも始めました。
 私は、アレクサンダー・テクニークのレッスンを多くの先生たちから受けました。その先生たちの多くは「本当を言うと本物のアレクサンダー・テクニークができるのは、F.M.アレクサンダーだけだろうと思うのよ。私は、私の先生に教えられたアレクサンダー・テクニーク(の本質的要素)と、その理解に基づいて私が学びつづけたものを教えているのよ」というふうなことを言っていたように覚えています。

 

 アレクサンダー・テクニークのレッスンを、複数の先生たちに受けた方は、ご存じだと思います。レッスンのやり方も、それぞれの指導者でちがうのです。もちろん同じような方法で教えている方がたもいます。

 

 そんなわけで、だんだんアレクサンダー・テクニークを教える指導者、先生方が増えています。その先生方の中で、パトリック・マクドナルドに教えを受け教師養成トレーニングを受け先生になった方々(第2世代)、その方々から教師養成トレーニングを受けた方々(第3世代)等々を「マクドナルド派」なんて呼んだりします。

 この本を翻訳された細井史江さんも、イギリスのマクドナルド派教師養成トレーニングコースで学ばれた方です。そのトレーニングの間、技術を学ぶための理論書(これは私の理解ですが)のようなかたちで、読まれていた本が、この原書のようです。

 

 よく言えば、人間全体にかかわる層の厚い技術であるアレクサンダー・テクニーク。悪く言えば、アレクサンダー・テクニークという技術は、つかみどころがない。学べば学ぶほど、わからなくなってくる。そんなときに道しるべになってくれる本のように、私は読みました。何度も何度も、読みたい本です。

 

 中身を紹介したら、きりがないほどの本なのです。
 1つだけ私が紹介するなら「ほかの多くの発見と違って、アレクサンダー・テクニークは理論から実践へと進行したのではなく、むしろその逆だった。なぜなら、アレクサンダーは本質的に実践家であり、彼が自分で実際におこなった多くの試みから導き出された彼の発見や理論は、テクニークにおける中核をなす概念として信頼性と権威を際立たせている。そしてこの概念は60年以上変わらず実践されている」という部分です。
 今は60年以上じゃなく「100年以上」なんですが。
 この箇所は、アレクサンダー・テクニークは興味深くおもしろい、けれど実践にまさるものはない、文字で書けないものがある、と指摘しているように読みました。
 頭でっかちにならず、私も学び続けよう、と思うばかりです。