こんにちは、北村綾子です。
「誰でも正しくありたいと思う。しかし自分で正しいと思っていることが正しいかどうか、誰も立ち止まって考えない」
この言葉は、動物行動学者ニコラス・ティンバーゲンさんが書いた言葉らしいのですが、「感覚的評価は、あてにならない」ことを的確に言い表している言葉だなあと感心したので引用します。
この「正しさ」について、身体活動を通した学びで、直接扱っているものをアレクサンダー・テクニーク以外に私は知りません。(私が知らないだけで、外にあるかもしれないのですが)
まずは、F.M.アレクサンダー氏の経験から話させて下さい。
F.M.アレクサンダー氏は俳優でしたが、舞台の上で声が出なくなってしまいます。医療機関でも治せない自分の声の問題を、自分自身で解決しようと彼は決心し、自分自身の声を出す姿を観察し実験を繰り返しました。
そしてF.M.アレクサンダー氏は、過剰な筋肉の緊張を和らげ、頭を後ろに引っ張ることもなく、前に突き出すこともなく、首の上で絶妙なバランスを取り、ほんの少し前に上にいく。そうすると背中が、幅広く長くなる。という初原的調整作用(プライマリー・コントロール)を見つけました。
ところが、この初原的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ話す、ということが、F.M.アレクサンダー氏には出来なかったのです。
「ここに非常に興味深い事実がある」とF.M.アレクサンダー氏は書いています。「初期の実験で、私は朗唱するという馴染みの活動のなかで、自分自身が何をしているかを確かめるために鏡を使った」のです。ということは、初期に「私」は自分自身が朗唱するときに何をしているか、わからない状態であったから鏡を使って、それを見て確かめたのです。
ところが、今回の実験(初原的調整作用がうまく働いた状態を維持しつつ、話す)では、実験当初の「私は朗唱する(話す)活動のなかで、自分自身が何をしているか、わからない」という経験があったにもかかわらず、今回の実験で、自分が望ましいと思ったどんなアイデアでも実行できるはずである、と「私」が確信していた、のです。
これを、F.M.アレクサンダー氏は「興味深い事実」と呼んでいます。
そして「これは私自身の固有の癖なのだろうと思っていたけれど、その後35年間アレクサンダー・テクニークを教え続けた経験と、それ以外で会った人たちを観察していた結果、これは私固有の癖ではなく、同じような状況のなかで、ほとんどの人が同じことをしてしまう」ということを書いています。
のろのろと私が書いてきたことは、
「自分が望ましいと思った、どんなアイデアでも実行できるはずだ、という『当初の感覚』は、幻想だ(間違っていた)」という結論にF.M.アレクサンダー氏は至ります。
そして「同じような状況のなかで、ほとんどの人が同じことをしてしまう」ということを、彼は経験によって確かに知ったのです。
これが、アレクサンダー・テクニークでいうところの「感覚的評価は、あてにならない」ということの具体的な意味合いです。
F.M.アレクサンダー氏は、この「(当初の)あてにならなくなった感覚的評価」を、もう一度、あてになる感覚的評価に戻すために実験と観察を繰り返し、アレクサンダー・テクニークまでたどり着きます。
われらが大先生は、なんと辛抱強い、不屈の精神を持っていたのだろう、と改めて思い至ります。