アレクサンダー・テクニークの会 ブログ

レッスンを始めました。レッスンのご案内、日々の気づきや、思うこと考えることを書きたいと思います。

私とアレクサンダー・テクニークの出会い

 こんにちは、北村綾子です。
 私は1999(平成11)年、アレクサンダー・テクニーク・インターナショナルというアレクサンダー・テクニーク教師の団体から、認定教師資格を得ました。(アレクサンダー・テクニークでは、指導する人を「教師」と呼び、レッスンを受ける人を「生徒」と呼びます。アレクサンダー・テクニークは100年以上前から教え学ばれてきたものなので、当時の「教える人」と「教えられる人」の関係を表す言葉は、「教師」と「生徒」だったんでしょう。)

 

 このブログを始めるにあたって、私がどんなふうな動機で、当時あまり知られていなかったアレクサンダー・テクニークに出会ったのかを、お伝えしたいと思いました。あまり楽しくはないかもしれないけれど、過去の私があったから、今があるなあと思うので書きますね。

 

 私は高校生の頃から頭痛や不眠、何とも言えない不安があって、この心身の状態を改善したいと強く思っていました。
 大学生の頃から、本を読むかたわらヨガや太極拳を学んだり、働き始めて合気道もやってみたり、再度別のところで太極拳を学んだりしていました。どれも悪くはないのです、悪くはないのですが、私の不安や頭痛、不眠が快方へ向かうような、何かには出会えませんでした。漠然と、たぶん私は「からだの使い方」がよくないんだろう、と思いました。だから、運動だけれども運動ではないヨガや太極拳、気功や合気道などをやってみていたのです。いわゆる「気の流れの滞りのようなもの」が、私のからだの不調なのかもしれないと思っていたんだろうと思います。

 

 20歳代なかば、あまりに辛く精神科を受診し、睡眠薬を飲み始めました。薬を服用して半年ほど過ぎると、飲まずに眠るのが怖くなりました。薬への依存が、自分自身に認められることに動揺し、まずます不安になっていました。

 

 その頃、以前通っていたカルチャーセンターのヨガ講座のなかで、瞑想のクラスが開講されていました。心の動揺を落ち着けたいと思い、この瞑想のクラスを受講しました。
 このクラスを指導していたのは、谷村英司先生、アシスタントは矢内なおみさんでした。当時は、体操(これはフェルデンクライスの「動きを通した気づき運動」を応用したものでした)のあと、瞑想の時間を取っていました。
 これが、私には、とてもよかったのです。心身が落ち着き、だんだん頭痛が減り、薬を飲まなくても眠れるようになってきました。
 瞑想教室のない日でも、このフェルデンクライス・メソッドの「動きを通した気づき」に私はしばらく夢中になって、夜半や休日に自宅で取り組み、瞑想を実践していました。


 しばらくして谷村先生が、アレクサンダー・テクニークのことを話しているのを聞きました。「アレクサンダー・テクニークのレッスンを受けてきた。まるで動く瞑想だ……」というふうなことを話されていたことを覚えています。
 それで私は「どこで、そのアレクサンダー・テクニークの個人レッスンを受けることが出来るのですか」とお尋ねし、アレクサンダー・テクニークのレッスンをお世話してくれていた片桐ユズルさんに連絡し、レッスンの申し込みをしたのです。

 

 初めてレッスンを受けた先生は、ベジィ(エゼキエル)・アインシャイ先生でした。その後、ヘジィが来日されるときは、必ず週に2回か3回レッスンを受けました。私が快方へ向かう、何かを感じました。最初は「からだの使い方」を教えてもらっているという自覚は、なかったのですが。

 

 私にとって何がそんなによかったのか、というと、
 自分でそんなに力を入れていると思っていなかったのですが、私は無意識に体をこわばらせていました。余分な力を減らしていく練習が、自分で少しずつできるようになって、頭痛が減って、眠ることが辛くなくなってきました。


 体への気づきが広がると、落ち着くことが出来ました。落ち着くことができると、思っていることや考えていることが見わたせるようになってきました。
 どうして私は、そんなふうに行動するのだろう、こんなことを思っていたのか……自分自身の考えや感情の意味を理解しはじめ、自分自身を受け入れる素地が広がっていきました。


 アレクサンダー・テクニークは、「自分自身を受け入れる」のを助けてくれる方法ではあります。自分自身の体に気つくと、心にも気がつくのです。「気づく」のは、いっぺんに「心を丸ごと」とか「体を丸ごと」気づくのではなく、一つひとつ気づくのです。一つひとつの自分自身の考えや感情に気づくことを、アレクサンダー・テクニークは助けてくれました。

 たとえば、私は「自分への評価」が低いことがわかりました。どうして低いかは、過去の経験から来ていることがわかりました。今でも、私の自己評価は、あいかわらず低いのですが、もしかしたらそんなに自信満々の人はいないのかもしれない、と思えるようになりました。「自己評価が低い」のは、私だけではない、口に出しては言えないけれど多くの人が同じなんだろうな、と思えるようになりました。

 そしたら、何かで落ち込んだときには、落ち込む原因を考え「そういうこともあるなあ」と納得できるようになっています。どうしても納得できないときは、話せる周囲の人に話す。そうすると、そのうち立ち直っています。

 

 どんどん脱線していくので、脱線ついでに、

 アレクサンダー・テクニークの創始者FMアレクサンダー氏は「すべてのことは、それが生理的であれ、心理的であれ、霊的であれ、筋肉の緊張として翻訳されるのです」という言葉を残しています。
 私はアレクサンダー・テクニーク教師養成コースで学んでいるとき、この言葉を読みました。そのとき、私自身がベジィのレッスンを受け始めた頃、無意識のこわばりが解けていって、いろんな考えや感情が認知できたことに驚いたことを思い出しました。

 

 この文章に出てきた、片桐ユズルさん、谷村英司さん、矢内なおみさんはアレクサダー・テクニークの先生になっておられます。ご縁に感謝しています。