アレクサンダー・テクニークの会 ブログ

レッスンを始めました。レッスンのご案内、日々の気づきや、思うこと考えることを書きたいと思います。

新年、おめでとうございます!

2023年、日本は令和5年。

新年の抱負…計画や決意ですが、

考えているうちに遅くなってしまいました。

 

これまで考え続けてきたことを考え続け、時がきたら実行に移す。
こんな感じです…

 

抽象的ですが、
これまで生きてきた経験で
「…をやるぞ!」と意気込んでも
自分を無理やり変えるには限界があり、
他人を自分の都合よく変えるには、限界があり、
他人の総体である世間、社会、世界を無理やり私が変えることは、できない。

 

新年から、意気消沈するような内容で、申し訳ないですが
今は、上記のように考えています。

 

だからこそ、
今まで考え続けてきたことを忘れず
正しいと信じていたことも
一見正しいことも、誰かが正しいと言ったことも、
立ち止まって感じ考え、動き出すことが大切のように思います。

 

動き出してから、
間違いに気がついたら、止まって
違う方向に動けるまで戻って
再び動きだせば、よい。

 

動き出せるか?って?
動き出せますとも!
今生きていることを大切に思うなら、私たちは動き出せる、と。

 

ここまできて、これはアレクサンダーテクニークの手順にも通じること
と気がつきました。

 

混沌とした世界で、喜びもあり、失望もあるかもしれない。
それを受け止めることが、生きることかなと思うんです。

今年もよろしくお願いいたします。

 
 

目の不調が改善して実感すること

 遠視を矯正するメガネをかけて、1週間が経ちました。

 11月下旬、目の不調が、遠視が原因だとわかって、遠視矯正のメガネをつくってもらいました。


 私の場合は、左目に乱視が入っているようで(私自身も気がついてたのですが)右目を主に使っていました。

 

 調べてみましたら、
 実際にものを見るときは瞳孔から目に入った光が虹彩で調節される。虹彩がカメラの絞りのような役目をするそうです。この虹彩を調整するのは、虹彩の中にある「瞳孔散大筋」と「瞳孔括約筋」という筋肉なんだそうです。これが、まぶしかったら、少なく光を取り込み、暗いと多く光を取り込むそうです。

 

 それから、カメラのレンズのような働きをする水晶体の厚さを調節し、ピントを合わせています。 この調節にかかわっているのが「毛様体筋」という名前がつけられた筋肉なんだそうです。これで、水晶体を引っ張ったり緩めたりしています。 遠くを見るときは、毛様体筋が緩まり、水晶体を薄くしてピントを合わせます。


 レンズを通した光は、透明なゲル状の硝子体(目玉の中にあるもの)を通過して、硝子体を包んでいる網膜の中の黄斑というところで焦点を結ぶそうです。 そして、その光が視神経を通じて信号として脳に伝達され、像として認識されるそうです。

 

 近視は、この焦点が、硝子体の中、黄斑の前で焦点を結んでしまう。だから、遠くは、ぼやけてピントが合わないけれど、近くは網膜の黄斑に焦点がくるので、ピントがあってはっきり見えるようです。

 

 遠視は、この焦点が、黄斑の外で焦点を結んでしまう。だから、遠くも、近くも自然にピントを合わせられないので、目の微細な筋肉を駆使してピントを合わせる必要があるのだそうです。

 メガネ屋さんの話では、若いときは頑張ってピントを合わせているんだけれど、だんたん年をとって40歳前後から眼精疲労を訴え「遠視がある」とわかる人が多いそうです。

 

 ちなみに老眼は、近いところを見るのが、ぼやけてしまう、調整が難しくなってしまうのだそうです。

 

 私の両目は、矯正メガネによって、以前よりは楽に見ることができているようです。まぶたのピクピク痙攣は、たまにありますが、目が痛くなる前に、疲れた、というのがわかります。

 以前は「疲れ」が、わからなかったんです。常に頑張っているので、疲れるというより「痛み」が出ていましたから。

 

 おもしろいのは、右目玉に、大きな変化が起こって、頑張っていた小さな筋肉が楽に動けるようになったからでしょうか。

 背中の、右の肩甲骨の背骨よりのところが、1本の細い線で、引きつったような痛みがあったりします。こむら返りのような感じ。ゆっくり頭をそらせて背中を伸ばし、力を抜くと、痛みがおさまるところがあったりします。
 右側の股関節の外側の、1本の細い線で、引きつったような痛みがあったりしました。こちらも、ゆっくり股関節をまわして、痛くないところを探したりしてみます。

 

 目の筋肉が頑張りすぎていることは、背中や、股関節にも影響があったんだなあ。背中や股関節の痛みを和らげることで、目の筋肉もまた和らぐのだろう。それらのつながりを実感します。

 

 目の微細な筋肉に変化が起こったことが、体全身に影響があるんだなあ、と改めて実感しています。

 

 蛇足ですが、2017年頃か、『Eye body』の本を読み、ちょうど著者ピーター・グルンワルドが来日しワークショップに参加しました。アイボディメソッドもしばらく実践してみましたし、マティアス・アードリックの個人レッスンも10回以上受けてみましたが、正直なところ、その当時、私は、あまり効果を感じなかったし、体全体とのつながりというのは、わからなかった。
 でもまあ、ここに来て実感するというのは、小さな感覚としての認識が積み重なったからかもしれない、と思ったりします。
 ムダだったと思うことがあっても、それはムダではなかったと思う、

きょうこの頃です。

目から鱗(うろこ)が落ちたできごと。

 久しぶりに驚き、うれしい進展がありました。


 長年、原因不明だった目の痛み、まぶしさの原因がわかった。そして、改善の方向に進みそうです。

 

 私は、ここ5、6年前から、本を続けて読みづらく、夕方には目が疲れ痛くなったり、昼間は日差しがまぶしくてサングラスを使ったりと、断片的ではあれ続いていました。


 総合病院の眼科でも診てもらいましたが、「視力はよく、老眼が出ていますよ]というだけでした。疲れ目改善の目薬は処方してもらいましたが、痛みやまぶしさの改善にはつながりませんでした。

 

 最近、夕方の目の痛みはなくなったのですが、その代わり目の回り、まぶたがピクピクしてきます。そして目の疲れを自覚するわけですが……。
 これも眼精疲労のようです。
 また、老眼?が進行しているようで、パソコンの画面を見ていると、ぼやけてきたり、目が痛い……。

 これは、まずいなあとずっと思っていました。


 ここ数年、気にいって使っていたサングラス(ネット購入の鯖江眼鏡)のウェブサイトで、紹介していた大阪市内のメガネ屋さんに電話して予約し、行ってきました。


 Google口コミを見ると、店長さんを嫌いな人は★1つで、こき下ろすコメントを残しているけれど、全体評価は★4以上というお店。きっと、ここは、こだわりのメガネ店と思い、行ってきました。

 

 確かに、こだわりのメガネ店でした。
 2台の検査器機で、小一時間、小さな窓からのぞいて、目の検査をしました。

脳のなかを、耳かきでホジホジ、モジモジ掻かれているような変な感じがしました。
 結果、私は遠視なんだそうです。

 

 毎年、簡単な健康診断で、視力は1.2程度。それで、目に問題ありとは、ならない。
遠視は、病気ではないので健診には出ない?眼科医院ではわからない?検査しないようです……。

 

 遠視は、目にあるレンズが、水晶体の後ろにはみ出して焦点を結ぶので、若いうちは筋力で、がんばってピントを合わせているそうです。
 ある程度、年齢を重ねると、筋肉が衰え、そのピントを合わせる力が、負担になってくる。それで眼精疲労で、メガネ屋さんにくるケースが多いそうです。

 私の場合、左目には乱視が入っているようですが、それも普通にあることのようで……。
 割と、ポピュラーな症状だったようです。

 

 しかし、これまでもメガネ屋さんに行ってみたけれど、私が遠視ではないか?との指摘は、なかったなあ……。ちゃんと私が相談しなかったかも?

 いや、こだわりの店長さんは、ある意味しつこく症状などを聞いてくれたので、話すことができたように思います。

 そのしつこさを、うっとうしいと見るとか、親切と見るかは、人によるんでしょう……。

 

 上記をわかって、インターネットで調べると、出てくるんだなあ……。
 知らないとき、暗中模索のときは、まったくわからなかった。

 それで、近年の私の疑問は、解決の途につきました!

 

 目の改善が、体にもたらす変化を知覚し続けることを、私の脳はワクワクし
て待っています。

新型コロナウイルス感染から、復帰しました!

 本当にしばらくになりましたが、

みなさま、お元気でお過ごしでしょうか?

 

 子どもの体調不良に振り回されつつ、私は8月下旬(医院では「9月1日感染」認定)、新型コロナウイルスに感染しました。

 私がかかった頃には、新型コロナウィスルは弱毒化しているらしいですが、結構しんどかったです。一昨年は、もっと辛かったのかあ……と想像してしまいました。

 

 私が平熱が36度前後と低いので、36.7度になると、すごくしんどいのですが、一般的に「発熱外来(新型コロナ感染が疑われる人の受け入れ窓口)の基準は37.5度以上」と言われ、電話をかけても断られる医院がいくらもありました。
 体は、だるく熱っぽいのに、体温37度にも満たないので、「発熱外来」で診察を引き受けてくれる医院を探すのに、苦労しました。

 

 医院にかからないで、自分でコロナ感染認定請求を保健所に提出すると、認定を受けるまで、すごく時間がかかってしまうのだそうで、私も医院を探しました。

 

「家族が感染したので、感染しているようだ」という理由で、知り合いが紹介してくれた医院が受け入れてくれ、コロナ感染認定を受けた次第です。

 

 私の場合は、喉の痛みより、全身の筋肉が痛くなりました。呼吸するたびに、肋骨周りの筋肉(肩や腕、胴体の筋肉)が痛く、息をするのが辛かった。「私の肺って、こんなに動くのか」と驚いたりしていました。
 咳もあり、喉も痛かった、関節も痛かったけれど。筋肉の痛みが最強だったから……

 

 今から思うと、少し休めたかもしれないとも思う。
 その後、新型コロナ感染症は、治り、アレクサンダーテクニークのレッスンは、再開しています。

 

最近のレッスン場所は下記。別の場所がご希望の方は、ご相談をください。
  京都市呉竹文化センター(近鉄・京阪丹波橋駅西口前)

最近のレッスン料は、以下の通り。
    レッスン料……(1レッスン/約60分)4,000円
                  10レッスン後から、3,500円
                  20レッスン後から、3,000円

連絡先…… fmalexanderparty@gmail.com お待ちしています。

謹賀新年 2022年

2022年になりましたね~
昨(2021)年は、いろいろあったけれど、みなさま、お元気でお過ごしのことと思います。

私の近辺でもいろいろあって、学ぶことがいっぱいありました。

もう少し若い頃は、私はすねていたのです。

しかし、取り返しのつかないことは、どうあがいても取り返しがつかない。

気がついたところから、生きるしかないんだなあ。現実の世界は、そういうものだ。

異世界に生き直すなんてできないし、世界をリセットもできない。

ただただ、耳を塞ぎ、毎日、息を詰めて生きていくことに苦しくなって、もがいいていた頃に、新型コロナ感染症が広がった。振り返れば、そんな気がします。

 

コロナ感染症が広がり、コロナ感染症で死ぬことがある、いや、そうでなくても生き物には死が近くにあることを感じました。

誰でも、いつかは死ぬなら、すねていていいのか?

現実を生きてこそ、生きること。どうせいつか死ぬなら、現実を生きよう、と。

若い頃のように何か極端なことができるわけではないけれど、とりあえず現実を生きよう。


これまで、間接、直接にお世話になっている方々に。お会いできない方々に。
ありがとうございました。結果として私が失望してしまった人たちにも、感謝しています。私はちゃんと失望しなければいけなかった。そして次の道を探さなければいけなかったんだなあ。

私は生きているのだから、遅いということはないのだけれど。とりあえず気がついたところから、できることを。

 

今、流行しているコロナ菌は、過去のコロナ菌と同じように弱体化し、普通の風邪のようになっていっているようです。

みまさま。

お身体を大切に。
私も、ぼちぼちがんばります。

小曽根真さんの言葉に、「art(芸術・技術・技)」の意味を知る

きのうNHKラジオR1「関西ラジオワイド」を聞いていたら、ピアニスト小曽根真さんがゲスト出演していました。

 

小曽根真さん、60歳になられ記念CD「OZONE60」(2021/3/3リリース)の内容紹介も兼ねて、お話をしていました。

おもしろいのは、ジャスピアニストの小曽根さんは、ここ20年ほどクラシック曲を学びつつ弾いているのだけれど。今回のアルバムも、ジャスとクラシックの曲なんだけれど。

普通、「ジャスとクラシックの融合」なんて言いそうなのだけれど、そうじゃない。

ジャスはジャス、クラシックはクラシックと分けて(襟を正して)弾く、そうです。

それぞれを混ぜない、それぞれの持ち味を小曽根流に活かしたい、というようなことを言っていたように覚えています。

 

そして、圧巻だったのは、チック・コリアに教えてもらったこと、と言っておられた言葉。

「ある曲の演奏を聞いて、好きだ、よかった、と言うのも。嫌いだ、と言うのも、いいんだ、問題ない」

「好きだというのも、嫌いだというのも感性で受け止めている。聞く方の感性を動かしたから、そういう感情を持つ。それは、すばらしい芸術だと」

「一番問題なのは、何も感じないと言われること。感性を動かさない音楽は、問題」みたいなことを言っていたのです。

(上記、私の聞いて解釈したことですから、もしかしたら間違っているかも。あくまでも私の解釈なので、もし間違っていたら、ごめんなさい。)

 

これには、ビックリ。

ん? どういうこと?

art(アート/芸術・技術・技)というのは、人の感性に訴えるもの、慰めたり、励ましたり、嫌な気持ちを起こさせても、それには意味がある、というような内容だと思ったんです。

 

過去に、アレクサンダー・テクニークを教えてくださった先生の何人かが、たぶんヘジィも言っていたような、「アレクサンダー・テクニークは芸術(art/アート)だ」と言っていた意味が、なんとなくわかったようで、嬉しかった。

 

私に教えてくれた先生方も、そのまた先生から聞いたのでしょう。

 

最近読んだ興味深い本……会計の本

実は、コロナ感染症が流行る前ぐらいから、目の調子が良くなかったんです。夕方になると痛みが出ていました。本を読むのが、だんだん辛くなっていました。

紫外線などをさえぎる室内でも使えるサングラスを使って、少し落ちついてきました。『アイボディ』で学習した試みや、目を温めるとか、様々試みていました。

 

漢方の本で、肝臓の虚弱が目の疲れに影響することがあると知り、ここのところ漢方薬を飲んでいます。肝臓は「沈黙の臓器」で、痛みや不調が出にくいところなので、大事をとって飲んでみたのですが、何となく良さそうです。

 

アレクサンダー・テクニークは、心身を適切に休めること、本来身体にある初原的調整作用を活かすことに活用できます。それを日々使い続けることが学び続けることで、新しい発見もあったりして、楽しい。ただ、不調を感じたり、または興味を感じたら、できることは、楽しく試みるよう努めています。

できないことも、たくさんありますからね。できることは楽しく、やらなければいけないことも、できれば楽しく、と。

楽しくできないことも、もちろん、あります。そのときは気をつけて、やり直しにならないよう努めて。片付けています。ああ、これも人生で必要な試みなんだ、と。

 

最近、読んだ本のなかで、おもしろかった本のことです。
『良い値決め 悪い値決め』(田中靖治著 日本経済新聞出版社)という本。
この本は2015年出版の結構古い本。コロナ前の日本社会の経済状況で、その後どう生きるかという視点で公認会計士という肩書きがある田中さんが書いた本です。


田中さん、興味深い人です。公認会計士という肩書きですが、本来の「会計士」の仕事では、もう稼げない社会になっているそうです。
コロナの持続化給付金詐欺に、「会計士」という肩書きの人が絡んでいることが多い。それをニュースで聞くにつけ、会計士では稼げないんだなあ、と実感します。

本来、会計士さんがやっていた中小企業の資金計算などは、PCソフトを少し勉強すれば、誰でもできるようになっています。
それでは、今の会計士さんの仕事というのは、なにか。(それぞれの方々が模索されているでしょうが)著者は、経営において資金会計を具体的にどのように運用していくか、の企業コンサルタントのような仕事をしているようです。
だから、話が具体的で平易で、読みやすい。

 

私がおもしろいと思った本には、本のタイルとの通り「値段は、どのようにして決めるか」という内容でした。
私のような、よく言えば「志高く」悪く言えば「浮世離れした」心持ちの人間には、誰にでも大切なお金のことを、感情的ではなく道理として、わかりやすく理解できて久しぶりに楽しく勉強した、という感じです。

 

田中さんの本は、外に『貯金ゼロでも幸せに生きる方法』(2013年発行)『40歳からの”名刺をすてられる”生き方』(2012年発行)も読んで見ました。

コロナ感染症が広がる前に書かれた本ですが、当時から少し先の社会の状況を予測しています。今読んでも、そんなに外れていないように読みました。

コロナ感染症の広がりで、世界が大きく変わった、と言われますが、そんなことはないかもしれない。コロナ感染症という禍が起こって、世界の明暗がハッキリ見えているのかもしれないと思ったりしました。

 

まあ、「誰にでも貧乏なときはある、お金が乏しくなっても、貧乏くさくなるな」という助言には、苦笑いしてしまいました。

つまり「大局を見よ」ということですが、世俗的な内容でありながら世俗的でない物言いで、おもしろい。