アレクサンダー・テクニークの会 ブログ

レッスンを始めました。レッスンのご案内、日々の気づきや、思うこと考えることを書きたいと思います。

最近、おもしろかったラジオ放送

まだまだコロナ感染症は、おさまりが見えません。
外出もままならず、最近は、どうしていますか?

 

私は、コロナ感染症が広がる前から、ラジオ放送を聞くのが好きでした。


私の父方の祖父は明治37年生まれで、私が赤ん坊のとき少し面倒をみてもらいました。その祖父が、よくラジオを聞いていて、おぼろげにラジオの音を覚えています。当時の大きな箱のようなラジオから、ザラザラとした雑音の中から聞こえるアナウンサーの声を、不思議な気持ちで聞いたことを覚えています。

(私の生まれ育ったところは僻地で、私が赤ん坊だった当時はテレビがなかったんですよ。そのことにビックリでしょう?)

テレビを知らない赤ん坊が、ラジオを不思議に思うのも、想像できることでしょう。


 それから、ラジオを聞かないときもありましたが、最近は、毎日雑用をしながら聞いています。

 

スマートフォンのラジオ・アプリで聞くと、クリアな音で、オンエアの1週間以内なら聞き逃した番組のほとんどを、自分の好きな時間に再び聞くことができるので、重宝しています。

 

少し前、NHK「カルチャーラジオ歴史再発見」という番組のなかで「会計と経営を巡る500年の歴史」というシリーズタイトルで、公認会計士という肩書きの田中靖治さんが、話していたのが、とても面白がった。

 

1つは、通常、歴史というと、領土領海お宝などを取ったり取られたりの政治的なの歴史、または文化的な歴史などなどで、会計と経営という視点からの歴史というのは、あまり聞いたことがなかった、その関係を解いていたこと。


2つめに、帳簿はどのように必要とされたか。具体的な需要と供給が、どのようにおこなわれたのか。そして、そこに絵画という芸術が絡んでくるのです。
現在の生活では、生活に直接かかわっているとは思えない絵画。その価値を、当時の社会(欧米の歴史なんですが)の経済的需要と供給のなかに、その価値を説明していた。

絵画そのものの芸術性よりも、当時の社会の中で絵画は、どのような役割をしていたのか、というのが、わかって、目から鱗が落ちるようなワクワクさが(30分番組が12回あったのですが)毎回ありました。

 

田中康宏さんは『会計と経営を巡る500年の歴史』という本を書かれ、それがおもしろかったので、NHKが講義を頼んだようです。
今回調べてみたら、YouTubeにもアップされていました。
ラジオの聞き逃し配信には期限があって、もう第1回の分は聞けなくなってい
ましたが、YouTubeでは、全回が聞けるようになっていました。

この田中靖治さんの本、少し読んでみようと思います。

最初の先生、エゼキエル・アインシャイについて

 2017年アレクサンダー・テクニークを再び学び直そうと思った頃、

 それから今日に至るまで、ときどき私が最初にアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けた エゼキエル・アインシャイ(呼称ヘジィ)先生の夢をみます。
 夢の内容は、覚えていなかったり、過去のレッスンのこと等々、とりとめのないことで、記すこともできないものです。
 
 ヘジィは2012年6月、63歳だったか京都市内の病院で亡くなったと聞きました。
 私が訃報を聞いたのは、その翌年でした。

 私が聞いて覚えているエゼキエル・アインシャイについてのことを、忘れないうちに、ここに記しておこうと思います。

 

 私は、1990年に初めてアレクサンダー・テクニークの個人レッスンをヘジィから受けました。そのときその場には、ヘジィを招いた片桐ユズル氏が通訳としていました。新大阪駅近くの、公共施設のようなビルの一室であったように覚えています。


 ヘジィは素っ気ないようすで、レッスンの間も「Neck be free, head forward and up‥‥」と小声で呪文のように繰り返すだけで、私に語りかけてくれるような普通の言葉ではない。私は緊張のあまりコチコチになっていました。

 その言葉を、片桐ユズル氏は「首を楽に、頭は前に上に‥‥」と通訳してくれるのですが、何が何やらわからず、ただただ緊張していました。そのうち、意識がフワッとしてボーッとしたままレッスンが終わって、レッスン料を渡して帰路に着いた、というのが、最初のレッスンでした。
 正直なところ、何かよいことが起こったとは、最初は思えなかったのです。それが、ずっと学ぼうと思ったところまでは、それなりに長い道程があります。それは、また後日。

 

 1990年から1996年頃までは、片桐ユズル氏が招いたヘジィや、ほかのアレクサンダー・テクニークの先生の個人レッスンを、機会あることに受けていました。
 この技術は、先生によって教え方が、ちがうし、印象もちがいます。

 

 1994年から、ブルース・ファートマンと片桐ユズル氏が一緒に京都アレクサンダー・テクニック教師養成スクール(KAPPA)を始めていました。ここは夕方から授業を始めていました。1996年に2期を始めることを、前年に知り、仕事をしていても参加できるということで、私も2期生に加えてもらいました。

 

 その頃、ヘジィが指導者として、教師養成トレーニングを開こうとしていました。ヘジィは、「アレクサンダー・テクニークの教師養成トレーニングは午前中」という昔ながらの方法で開きました。私は午前中トレーニングに参加して、生活をするほど、お金がありませんでしたから、ヘジィの個人レッスンや、トレーニングの練習に入れてもらったりしました。
 私はKAPPAで学んでいましたが、ヘジィから学ぶことがあるし、確かに教えてもらったことがあると言えます。

 

 この時期以降、私はもうヘジィとは、会うことはなかったのですが、
ヘジィと、KAPPA今から思えば特にブルース・ファートマンに、私は大きな影響を受けています。彼らの技術は対極のようですが、どちらも深いものでした。

 

 たぶん1990年代前半だったか、片桐ユズル氏から聞いたことです。
 ヘジィは2歳のとき、エジプトから両親に連れられて、イスラエルに来たそうです。当時は、イスラエル建国の時期で、両親とともにキブツという共同体に参加したそうです。たぶん社会的実験のようなことで、幼いとき、両親から離され幼い子どもたちだけを集めた集団で育った、ということでした。それは、幼いヘジィにとっては辛いことで、トラウマになっているような話しぶりでした。

 

 アレクサンダー・テクニークが、もっとも盛んな国は、イスラエルとスイスです。ヘジィが、いつアレクサンダー・テクニークを知ったか、私は知りません。
 ヘジィは、最初スイスのバーゼルにあるアレクサンダー・テクニーク教師養成トレーニングコースで学んだそうです。
 アレクサンダー・テクニークは、手を使って教えるので、しばらくすると生徒役の人に手で触れるのを練習します。他人に触れることに、ヘジィはこわいようで、おびえてしまって、いくら練習してもできず、いつの間にか、いなくなってしまった、と。当時、同じトレーニングコースで学んだ先生が教えてくれました。その先生にとってヘジィは、「できの悪いトレーニング生」のまま、記憶に残っているようでした。

 

 その後、ヘジィは、ロンドンで、ビル・ウィリアムズというアレクサンダー・テクニーク教師のもとで学び、ひとり立ちしたようです。
 アレクサンダー・テクニークは決して癒やしの技術ではありませんが、ビル・ウィリアムズという人は、心身が傷ついた人に寄り添ってレッスンができる先生だったようです。ヘジィも、そこで結果として癒やされ、前に進むことができたのだろうと、私は想像します。

 

 ヘジィから私が直接聞いたことですが
「もし、君がアレクサンダー・テクニーク・インターナショナル(ATI)という組織などから認定教師として認められなくても、君の技術が向上すれば、生徒はレッスンを受けに来る」みたいなことを言われました。あまりにキッパリ言ったので、覚えています。
 それは、ヘジィの実感で、矜持だったのだろうと思います。

 

 ヘジィが最初に学んだスイス・バーゼルのトレーニングコースは、創始者FMアレクサンダー氏の直弟子の1人、パトリック・マクドナルド系列の学校だったようです。
 イスラエルでは、パトリック・マクドナルド系列の先生が多いようで、スイスのトレーニングコースを卒業できなかったヘジィは、その後もイスラエルでは、あまり歓迎されなかったのかもしれません。

 日本でトレーニングコース主催し教えることができて、きっと嬉しかったことでしょう。

 

 世界の大きな変化のうねりのなかで生き、日本までやってきて日本で亡くなったヘジィを、

今、新型コロナウイルスが世界を変えていく最中で、私は思い出します。

 こうやって書いてみれば、そんなに深くヘジィと交流があったわけではないけれど、私がヘジィから学んだことは、確かにある。

 ありがとう、ヘジィ。

私にとって、アレクサンダー・テクニークとは?

 アレクサンダー・テクニークとは何か?という原理を、いろんな角度から説明することは、多くの方がされています。過去に私も書いていますしね。

 

 さて、再び学び教え始めた私にとっては、私の言葉でアレクサンダー・テクニークとは何か? を今の時点での考えを記しておかなければいけないと思っています。

 

 何も知らない私が初めてアレクサンダー・テクニークのレッスンを受け始めたのが、1990年。かれこれ、今年で31年! ざっと30年たつわけです。


 いったん離れてしまった私が、アレクサンダー・テクニークに戻ってきた理由は、その技術が、私がまっとうに生きることを助けてくれる技術だから、なんです。
 もし、アレクサンダー・テクニークを知らなければ、私は50歳を過ぎて、うつ病アルコール依存症か肝硬変か、または何かのガンを患っていただろうと思います。もちろん、これは、あくまで私の場合です。

 

 話が脱線してしまいますね、もうしわけない。
 今の時点で思うことは、
 私たちには、「重さ」があります。
 そして、私たちには「動こう」という「力」があります。「力」と変換すると「筋肉の力」とイメージしてしまいがちです。それも含むのですが、それだけではなく、私たちの体にあぶれる、たとえば「エネルギー」のような、「動こう」とする意思から発動する「エネルギー」です。

 

 蛇が石垣を登っていく姿を思い出してください。まっすぐ上に、ときには曲がって、頭が先導し、胴体がついていく。
 スルスルと登っていくときは蛇の「重さ」よりも、上に登ろうとする「エネルギー」が強い?多い?ので登っていくことが出来る。
 途中で、何かに気がついて、蛇が動きを止めるときは、蛇の「重さ」と、登ろうとする「エネルギー」が同じ、釣り合っている。
 蛇は、そのように自分の「エネルギー」を制御して動いています。

 

 動物は「重さ」と、動こうとする「エネルギー」のバランスをとって、動いています。それは、私たちも同じです。

 

 私たちは、生まれたときから、自分の感覚を発達させ、周りの人びとの動きをまねて動いたり、世話をしてくれる人びとに順応するために「ダメ」と言われたことを控えたり、多くは教えてもらうよりは無意識に「学習」して獲得しています。

 無意識の学びが、成功するときもあります。しかし、多くの場合、無意識の学びは、葛藤を生んでいます。生まれたときの環境で学んだことと、学校教育で学んだこと、社会生活で学んだことが、ちがっていたりしますものね。
 さまざまな文化があり、価値観があります。多くの人が、これも無意識に折り合いをつけて、生きています。

 うまく折り合いがつかないと、心身ともしんどくなりますね。私は不器用で、うまく折り合いが付けられなかった。今も不器用ですが、気づくことで、自分を「しんどい」状態から脱することがすべを得ました。これは私にとって、アレクサンダー・テクニークの効用の1つです。

 

 今のところ、私は、
 アレクサンダー・テクニークは、身体的な「重さ」を、より効率よく動くために、どのように「エネルギー」を使うか、を追究する技術、と考えています。

 自分の身体を「効率よく使う」ことは、自分の「重さ」「動き」に気づくことから、始まります。
 しかしながら、誰でも私も、「早くしなくちゃ」とか「変な人に見られないように」とか何か考え(価値観のようなものに)にとらわれていると、自分の「重さ」「動き」を気づくことを失ってしまう。

 忘れてしまったことを思い出したら、私は私に戻ってこられます。
 戻ってこられたら、そこに安心感があります。

 安心感以外の何ものか(たとえばある種の考え)があって安心感を乱しているなら、そのときは、えてして身体的緊張があります。その考えがはっきりしない場合でも、その身体的緊張に気づくなら、それを手放せれば、いいけれど、手放せない場合は、抵抗しない。

 これが結構、難しい。

 

、そういう過程が、より効率よく動くためにエネルギーを使う方向に向かいます。

 このような学びの過程が、アレクサンダー・テクニークの学びの過程です。
 この過程こそが、目的に至る過程。

 というより今の私には、より効率よく動くためにエネルギーを使う方向に向うことが目的なのだと思います。

アレクサンダー・テクニークは「癒やしをもたらす」技術では、ありません。

 突然ですが、「アレクサンダー・テクニークを究極の癒やしをもらす」と言った人がいたとか。


 私はアレクサンダー・テクニークを学び続ける者として、「アレクサンダー・テクニークは、癒やしをもたらす技術ではありません」と書きたい。

 

 さて「癒やし」とは、あなたにとって何でしょう?
 ネットで調べると以下のような説明が出てきます。

 

 いやし【癒やし】
肉体の疲れ、精神の悩み、苦しみを何かに頼って解消したりやわらげたりすること。 [補説]昭和60年(1985)頃からはやりだしたか。 2016年に実施した「あなたの言葉を辞書に載せよう。 2016」キャンペーンでの「癒やし」への投稿から選ばれた優秀作品。

 

 確かにアレクサンダー・テクニークは、より楽な身体の使い方を学ぶ技術です。「肉体の緊張は、精神的な緊張に翻訳される」みたいなことを、創始者FMアレクサンダーは、書いていました。

 アレクサンダー・テクニークは、学ぶ者(あなたも私も)が、自分自身をより自由な方向へ解き放つのを助ける技術です。解き放つのは、技術ではなく、先生ではなく、学ぶ者なのです。

 アレクサンダー・テクニークの先生というのは、私はファシリテーター(目標達成のため準備を手伝う人、物事の進行を促進する人)のような存在だと考えています。

 

 どうも「癒やし」と言う言葉にある、どこか「自分自身ではない、誰かに癒やしをもらたしてもらう」というニュアンスが気になるのです。
 たぶん、その「癒やし」は、万人に共通するものではなく、とても個人的なもののようなニュアンスがあります。

 下世話な話をすれば、ある人には、性的な事柄が「癒やし」になるかもしれないし、ある人には性的な事柄が「嫌悪すべき事柄」かもしれません。
 
 だからアレクサンダー・テクニークを教える先生は、「癒やしをもたらすことはできない」のです。アレクサンダー・テクニークは、身体にアプローチする技術です。そして、それは同時に精神にも影響を与えるでしょう。

 

 アレクサンダー・テクニークを学ぶ過程において、呼吸が楽になり心が穏やかになり、よりよく眠れるようになったら、もしかしたら、それを「癒やし」と呼ぶ人がいるかもしれません。

 

また緊急事態宣言が出されるようですね。

 「1都3県に再び緊急事態宣言が出される見通し」と、ニュースで聞きました。

 

 それに伴って、飲食店への時短要請などなど規制を強化して、人の移動を減らし、感染スピードを遅くする。ひっ迫した医療体制が崩壊しないように。
 そのうちワクチン接種が始まり、感染者が減っていく。というような予想なんでしょうか?

 

 経済の回復のためといいながら、企業や金融関係への助成が目立つ。
 収入が減った人たちへの助成金や、失業した人たちへ失業手当や生活保護を手厚く出すことは、必要だと思うんです。が、一時しのぎだということは、みな、わかっている。
(日本の国債は、ものすごい額になり、そのうち破綻するのではないか?という心配は、口に出せば、誰でも心配になるようなこと。年金が減ってしまうかも)
 いつまでも大盤振る舞いは出来ない。

 

 たとえば、医療関係で働く人が、たくさん必要なら、医療補助や看護補助の研修などを特別に設け、仕事を増やすとか。
 介護現場でも働く人が必要なんだから、介護研修などを設け、仕事を増やすとか。
 外国人技能実習生が来日できず、農業関係や工場関係などで働く人が減っているなら、日本人が働きやすいよう労働条件を整え、低賃金のところを最初は国が補助するとか。

 お金の援助だけでなく、収入が減った人、失業した人が自立できるような、いま社会で必要とされる仕事について、収入が得られるような援助が必要ではないでしょうかね?

 

 ダブルワークOKとか、現場の労働者をまだこき使うつもり? 新型コロナ感染症に罹患しなくても、過労で倒れてしまう。

 

 医療の現場も、介護の現場も、農業の現場も、さまざまな現場で、これまでギリギリの人数で現場をまわしてきた。
 または、外国人技能実習生や外国人労働者を安い賃金で、簡単に切り捨てられる安全弁としてつかってきた。または、派遣社員を安全弁としてつかってきた。

 

 私のような者でも、わかるようなことですが、このような人の仕事の在り方が変わっていかざるを得ないような状況になってきていると感じます。

 

 「やりたいこと」を考え、その延長線上にある、今「できること」を考えましょう。

 

 首を楽に、胴体をゆったりと、

深く息を吸い込み、自分自身が、いまここにいることを確かに感じています。

2021年 1月 新年のごあいさつ

 2021年、新しい年になりましたね。みなさま、お変わりありませんか?

 

 新型コロナ感染症が収まるところか、ますます広がり、
「新年、おめでとうございます」と書くことが、少しためらわれる今日です。

 

 私は変わらず、アレクサンダー・テクニークについて考え学び続けています。ほかにお金を稼ぐ仕事をしなくていいという環境でもないので、ほかの仕事もしていますよ。
 それらも続けつつ、アレクサンダー・テクニークに戻ってこられたことを密かに喜びつつ、新しい年を迎えています。

 レッスンも、以前通り続けています。

 

  新型コロナ感染症の動向が気になり、昨年は結局、たいしたことが書けなかったのです。

 今年は、もう少しこのブログを書こうと思います。


 私は印刷関連の仕事もほそぼぞ続けているので、Twitterでつぶやきを書くことが出来ないんです。読み直しを何度かしないでアップするなんて、なんだか無責任なような気がして。でも、まあ誰にも迷惑がかからないような、私の書き物なら、何度か読んで、ここに書いていいかしら‥‥と思えるようになりました。

 

 それでは、今年、よろしくお願いいたします。
                         2021/ 1/ 2  北村綾子

2020年11月 アレクサンダー・テクニーク・個人レッスンのご案内

 こんにちは、北村綾子です。

 現在も、京都市西部いきいき活動センターと呉竹文化センターで、アレクサンダー・テクニーク個人レッスンを続けています。

 

 新型コロナ感染症が世界中で広がり、日本でも日常生活において、今まで通りでは、ないことが増えています。

 いまだに以前のように通えない大学生がたくさんいます。アルバイトや仕事を失った、減った方々も多く、時間が余り、先行きが考えられず不安な方々もおられることと思います。

 思えば、私たちは、新型コロナ感染症が広がる前も後も、私たち自身です。
 もしかしたら、今の不安は、新型コロナ感染症が広がる前からあったのかも、しれません。それに、新型コロナ感染症が広がることで直面せざるを得なくなった、そういうことも多いように思います。

 

 アレクサンダー・テクニークの教授法は、創始者FMアレクサンダー氏は、個人レッスン(教える側と教わる側の1対1)でした。
 その後、FMアレクサンダー氏の直弟子マージョリー・バーストゥ氏が、アメリカでグループレッスンを始めた、と聞いています。今では、アメリカでもヨーロッパでも、グループレッスンが広範囲に開かれていると聞きます。

 

 最近では、日本でも、グループレッスンが盛んにおこなわれてきました。グループレッスンでは、アレクサンダー・テクニークの概略や原理を学ぶことや、1対1でおこなわれているアレクサンダー・テクニーク・レッスンを傍で見学すること、またアレクサンダー・テクニークではない外の身体感覚を高めるような動きが取り入れられて、おこなわれているようです。
 コロナ感染症が広がって以降、多人数のグループレッスンは閉められたところが多かったようですが、また再開されているところもあります。

 

 アレクサンダー・テクニークそのものの学びで、グループレッスンの良いところは、自分以外の人がレッスンを受けているのを見ることができること、でしょう。ただ、グループレッスンでは、アレクサンダー・テクニークの紹介や導入にはなっても、そのものを伝えるのは難しい、と私は感じています。
 というのは、元々アレクサンダー・テクニークは、1対1で伝え、何度かのレッスンで時間をかけて身につけていただくものと考えているからです。

 

 体と心に意識をもつことを楽しく練習し、有意義な時間を過ごすことが目的なら、アレクサンダー・テクニークのグループレッスンは、最適だと思うのです。しかし、アレクサンダー・テクニークそのものを身につけ、少しでも自分自身がよりよい方向に変化するのを、あなたが求めるなら、個人レッスンをお勧めしたいと私は思います。


場所……京都市西部いきいき活動センター(出町柳駅から徒歩約7分)
京都市呉竹文化センター(京阪・近鉄丹波橋駅西口出てすぐ)

曜日・時間……水曜、土曜 9:00~14:00ぐらい。
     (ほかの曜日・時間をご希望でしたら、ご相談ください)

レッスン料……約1時間/3,000円
 アレクサンダー・テクニークは、ほかにはないユニークな「身体訓練法」です。最初は「?」と思われるかもしれません。興味をもっていただいたなら、どうぞ数回レッスンを受けてください。

お問い合わせ、お申し込み…… fmalexanderparty@gmail.comnenn