長くお休みしていました。
ときどきに、私の目の不調を書いていました。遠視でメガネを1年半ぐらいかけましたが、ちょっとした出来事があって、日常的にはメガネを止めて、生活しています。
ちょっとした出来事とは、
今年8月13日夕方、台所で立っているとき、急に両目から涙があぶれ、椅子に座り込みました。メガネをはずして、両手の平で両目を覆い、涙が止まるまで待っていました。痛いとは感じなかったのだけれど、ひどく疲れを感じました。
「疲れた」と口に出したら、心が落ち着きました。タオルで涙をふき、メガネでも疲れている、とわかりました。
ためしにメガネをはずして、焦点をしっかり合わそうとしないで見ると、、楽でした。でも、ちょっと罪悪感があって、どうしてそう感じるのか?おかしかった。
それで、私自身が「ハッキリと見える物を見なければいけない」と思い込んでいた、と気がつきました。ずっと前、私は出版印刷業界にいて、校正もやっていて、文字をにらんで仕事をしていたことがありました。その習慣が、私に「焦点を合わせてハッキリ見る」ことを要求していました。百歩譲って、文字の校正のときは必要でも、日常的に必要ではない、と。心の中で思うと、おかしく、ほっとしました。
そうしたら、メガネをかけるようになった原因を思い出してみました。
それは、目がとても疲れたから、でした。決して視力に問題がある、とは、考えていませんでした。今年も簡易な健康診断を受けました。そこでも裸眼で、私の視力は、1.0と1.2でしたから。
メガネを使って、疲れの原因を取り除けないなら、メガネを使う理由はない、と思いました。
振り出しに戻って、私は目の使い方を学ぶ必要がある、と思いました。
それで、私はベイツ・メソッドのことを思い出し、本を読んで試みてみることにしました。
ベイツ・メソッドは、視力回復のメソッドです。
ざっくりと私の理解したところでは、通常「視力をよくする」とは、眼球が何らかの理由で変形し「視力」が落ちる、それを矯正して焦点を合わせて見えるようにするのがメガネ。その何らかの理由は、よくわからないので(そこをどうにかするのではなく)手っ取り早くメガネ矯正に頼る。結局のところ「視力をよくする」とは、「メガネをかけることを推奨する」と。
「疲れ目」には、「疲れ目用の目薬をさす(目薬はあまりよくない、という説もある)」、「目を休める」ぐらいしか方法はないようです。
ベイツ・メソッドでは、目は、目玉が目玉の周囲にある微細な筋肉を動かし、目玉の大きさを変えて「見る物に焦点をあわせている」と考える。その微細な筋肉をうまく動かせなくなっているから、視力が落ちる。だから、その筋肉をうまく動かす練習をする、というもののように理解しました。
ところが、実際に練習してみると、この微細な筋肉は、手のひらを開いたり閉じたりするようには、動かせない。
ということで、8月以来、通常メガネなしの生活を、観察を続けながら学んでいます。
しかし、細かいパソコン作業をするときは、緩いメガネに助けてもらっています。